スギ花粉と戦後復興策との深い関係
今まで何度も触れてきたとおり、日本で一番花粉症の原因となっているのは「スギ花粉」です。
ところでどうして日本ではスギ花粉症の影響がこれほど多いのでしょうか。
実はスギ花粉の増加は日本の戦後復興対策と深く関わりがあるのです・・
現在、日本国土における森林の専有面積は約2500万haで国土の約66%(3分の2)を占めますが、そのうち、スギ林の占有面積が約450万ha、ヒノキ林が260万ha(いずれも人工林のみ)あり、これら2大花粉症原因植物を合わせると少なくとも全体の30%も存在するのです。
これだけスギ林が大量に存在すること、すなわち「絶対量が多い」ことを知っておく必要があります。
では、なぜこんなに多くのスギ林が存在するのでしょうか。
戦後のハゲ山日本は先の対戦(太平洋戦争)の後期より軍の建物をはじめ軍需品や船、列車、紙などの必需品を生産するために、そして戦争に敗れた後は焼け野原の復興や燃料となる薪や木炭を生産するために多くの材木が必要となり、豊かな森林を片っぱしから伐採していきました。
そして気付いた時にはみすぼらしい姿のハゲ山がそこら中に数多く出来上がったのです。
しかし、森林にはとても重要な役割があります。特に台風の多い日本においては森林が少なくなると大雨が降ったりするとがけ崩れや洪水といった水害が起こりやすくなり、また、積雪地域では雪崩などの災害も発生してしまうからです。
そこで、戦後間もない時期(1950年頃)から治水や環境保全のため、そして戦後復興に必要な資源を育成するために国を挙げて一斉に植林が始まりました。
台風国日本の環境保全策としてスギを植林このときに国の政策により植えられたのがスギを中心とした針葉樹でした。
スギ植林その理由として当時植林用の苗木として確保しやすかったこと、スギは真っ直ぐに伸びて材質が柔らかくしかも軽くいことから木材として適していること、木の成長が早いことなど、総体的に生産性が高いと考えられたからです。
また、昭和30年中盤(1960年代)に入ってからも建築資材の安価な供給を望む多くの国民からの要望もあって大量の伐採は続けられ、それに呼応するようにスギなどの植林も続きました。
このときに植樹されたスギの木が成長を続け約30年後の1970年代になって、大量のスギ林から大量の花粉が拡散されるようになったのです。